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座談会

第1回 プルータス座談会【韓国編】-2

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※写真はフリー素材。Delcio G.P. Filhoさんの作品をお借りしました



前回に引き続きご覧いただき、ありがとうございます。

今回は【韓国編】-2「プルータスが韓国と取引を始めたきっかけ」をご紹介致します。

 

座談会参加者 : 佐藤執行役員・松浦部長・田中(国際部)、益子・中山(東京営業部)


第2回目は韓国との取引が始まったきっかけのお話です。

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【佐藤執行役員】(以下佐藤さん)
日本と韓国が国交を回復する前に既にプルータスは韓国と取引をしていたわけだけど、
そのきっかけとなったのはね、佐藤社長がニューヨーク大学の経営学部に籍を置いて
勉強をしていた時、ある人と出会ったことなんです。

【益子さん】
といいますと?

【佐藤さん】
昭和34~35年頃(1959~1960年)でしょうか、ちょうどその同時期に、その方…
Rさんとしますが、彼が同じところに勉強にきていたんですよ。
年の頃も大体同じで、お互い英語で会話をしていたそうで。

【益子さん】
日本人と韓国人ですからね。

【佐藤さん】
それである時、日本人留学生の中でパーティーを開いたそうで、
他国からの留学生もどうぞとなったときにRさんが単独で来られたんだそうで。
それがご縁で仲良くなり、まぁ後々仕事でのお付き合いが始まるのですが
この時はそれぞれ勉強をした後本国に帰ったと。

【益子さん】
なるほど、会社単位ではなく、佐藤社長が学生時代のプライベートなお付き合いが
発端だったのですね。

【佐藤さん】
そうそう。ビジネスフレンドというよりは、学生からのお付き合いということで…
とにかくお互いへの信頼がベースになっているんです。そんな雰囲気が出ているんですよ。

【松浦さん】
そうだったんですね。

【佐藤さん】
ちょうどその頃、アメリカで生産されたナイロン糸を韓国に持ってくるという話が出て、
Rさんのお兄さんがその仕事に携わっているということでした。
佐藤社長はニューヨークにいるときそのお話をRさんから聞いたそうなんです。

【松浦さん】
アメリカと韓国のお話ですよね・・・。

【佐藤さん】
当時、なかなか商売といっても思うようにいかない時代だったんですよ。
そんな時にね、今でいう三国間貿易ということでうちが入って、Rさんのお兄さんの仕事の
バックアップをしたそうなんです。・・・ここまでは僕が入社する以前の話ね。

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↑ 座談会風景。上から時計回りに佐藤さん、松浦さん、中山さん、益子さんです。(撮影:田中)
 






=== 次回へつづく ===



次回【韓国編】-3は「韓国との具体的な取引のはじまり」をご紹介致します。


※三国間貿易とは kotobank.jpより引用

貿易商社が在外支店を通じて第三国間で行う貿易取引で,仲介貿易ともいう。たとえばある日本商社のシカゴ支店が売買,保証,債務決済といった貿易責任の当事者となってアメリカからインドネシアへ小麦を輸出し,アメリカへインドネシアの衣料品を輸入したりする場合がこれにあたる。日本の総合商社の行う三国間貿易が最近注目されるのは,それが在外子会社や支店を通じて集められる情報を積極的に活用する取引形態だからである。従来から取引のあったアメリカ市場で供給過剰な石油化学製品を品薄な東南アジア諸国に輸出したり,日本と東南アジア諸国との合弁会社で生産した製品を西ヨーロッパに輸出する等はその例である。